かずみ先生のつぶやき

最近のかずみ先生の動向、生活について

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

その後大学から開業へ

ちょうど大学にいて10年が経つころ、教授の退任って事もあり、新しい教授が来るのと、ペインクリニック外来がブロックしない先生が来るということで、今までやってきたものと全然違う流派の先生がくるので、迷いました。また大学はずっと長く居れるものでも…

人生の選択

まあ、今まで自分で望んでこっちに行こうと考えたのではなく、流されるがままにここまで来てしまいました。自分の意思ってのがあまり入ってないような。こんな人生の選択でいいのか?と思いますが。勉強も嫌いでは無かったし、とにかく負けず嫌いだったので…

ペインクリニックへ

なぜ、ペインクリニックに進んだか? というのも多分、気になるところかな?と思います。これも、上司の指示なんです。当時、仕事がキツく、メニエル病になったり、本当に耳が聞こえなくなるまでになってしまって、さすがに上司に言いました。そしたら、ちょ…

ここでもまた

ある心奇形のお子様のお母さんが印象に残ってます。私は生まれた時からその子の手術を2~3回やってお母さんの事覚えていました。お母さんの方も私を覚えてくれて。またですね。なんて。がんばりましょうねとお話してました。 その後すっかりその子がどうなっ…

毎日麻酔

とにかくここから毎日麻酔の日々でした。 朝から晩まで手術。最高記録は朝8:15入室で、夜中の3時までが私の中で最長かな?心臓外科でしたが。外科の先生たちの方がもっと大変ですが。ずっと立ちっぱなし、トイレに行けない、食事飲水もなしですから。私はま…

そしてまた本院へ

そして研修8ヶ月終わり、とうとう自分の科の麻酔科へ帰ってきました。研修中も外科では麻酔をかけてましたので、忘れる事はないですが。これからが本番です。毎日、毎日手術です。ありとあらゆる手術をすることに。そして心臓外科も。帰ってきてからが地獄の…

最後はリハビリテーション科

リハビリテーション科はなんかいろいろな科のミックスで。神経内科、脳外科、整形外科など。後遺症の残った方のリハビリ内容を考えていくのですが、結構大変な患者様が多かったです。30代で脳出血で、言語障害があったり、歩けなかったりなど。その方のリハ…

内科研修

内科もまた大変な所に。循環器でした。 カテーテルばかりやるので、入院、退院が一週間なので、そのサマリーを書くのが大変で。紙カルテでしたから。この時の印象はある患者様だったかな?心臓がものすごい悪く、糖尿病から来ていたのですが、そんな状態にも…

そして外科

次は外科だったかな?ちょっと忘れましたが。 これもまた大変でした。人手が居ない麻酔科は外科の手術に入らず、麻酔をかけさせられました。一度だけ手術に入りましたが。私は元々閉所恐怖症なのか?術衣着て、手袋するとどこもさわれない。不潔になってしま…

小児科

まず初めに小児科に回ったのですが、それぞれの上の先生について回るのですが、私は3年目の先生で一番下っ端な先生で。他の人たちは偉い先生に二人でついたりしてました。一番下っ端なので、抱えている患者様の数が一番多く、13人くらいいたかな?その他の人…

麻酔科の同期

同じ医局に私を含め3人入局しました。男子一人と女子二人。男子は慈恵卒、女子は私と帝京から来た女子でした。みんなタイプが違って。男子は家の産婦人科を継ぐために、麻酔科標榜医を取って産婦人科に行くと明確な目的があり、女子は大病院のお嬢様で、慈恵…

麻酔科研修医

晴れて、医師になり、慈恵医大本院に数ヶ月、まず麻酔科として研修しました。麻酔科の面接では、もう、ぜひ来てくれという感じだったのですが•••それは人がいないから。でした。 まあとにかく大変で忙しい。月5回当直、毎朝8:15入室で麻酔して、終わったら術…

なぜ、麻酔科?

なぜ麻酔科を選んだか? これまた消去法な決め方で。行きたい科が無く、きついのは嫌だとかそんな事しか考えていませんでした。医学部に行って勉強してみると、結構、いろいろな科のイメージが違うんです。内科は実践よりデスクワークな感じだし、外科は内科…

国家試験が終わり

もう、緊張の糸が切れ、次の日は仲のいい同級生といちご狩りへ。普通ならちょっと休みたいところであるが、若かったので、元気がありました。鳩バスツアーで、いちご狩り。結構印象に残ってます。卒業旅行は行く場所の意見が割れて、結局、韓国にしか行けま…

そして国家試験

五年生からはポリクリといって、実際に病院のいろいろな科を回って実習します。そして卒業試験があって、国家試験。卒業試験に受からないと国家試験を受けられないです。なので、卒業試験がうかればほぼ、よっぽどの事がない限り、国家試験は受かります。そ…

実習

一年目は基礎ばかり。物理とか有機化学、英語、ドイツ語、など、何があったか忘れましたが、医学とは関係ないような学問ばかりで。最終的には少し関係あるかなと言った感じな教科。授業が中心でした。大学2年から実習がはじまったかな?解剖は2年生の夏くら…

大学時代

大学時代はちょうどバブル前後でした。 大学中に崩壊したのかな?学生だったので、よくわかりませんが。ジュリアナ世代です。合コンとかもたくさんありました。結構、行きましたよ。ここで告白してしまいますが。 北里大学は相模大野駅からバスで20~30分くら…

ゴールではない

大学受験はゴールではないんです。 よく、結婚はゴールみたいな話がありますが、結婚も始まりであり、医学部入試も単なる始まりの儀式でした。入学してからの方が数百倍大変です。大学の試験は一回の受験勉強くらい量があります。大学受験ってそんなに勉強し…

正規合格

二次試験まで受からないと正規合格とは言えず、入学できません。二次試験の面接ではいろいろな事が聞かれました。聖マリアンナ医大なんて、キミ、成績良かったけど、本当にこの学校来るの?みたいな事を聞かれました。多分、もっと良い学校にいってしまうの…

大学受験

大学受験の勉強はその家庭教師の言う通りにやりました。週三回、一回三時間。結構、彼も儲けていたように感じます。あれが食べたい、これが食べたいとかうちの親に言ってました。そして大学受験ですが、とにかく、片っ端から私立医学部を受けろと。試験代一…

大学受験の勉強

結局、理系志望はクラスの20人くらいしかおらず、その中で医学部行きたいなんて人は私ともう一人の女の子だけでした。なので、まあここでもライバル出現。別に嫌いではないですが、良きライバルと言った感じでしょうか?彼女のお父さんは弁護士さんでした。…

高校生活

そんなわけで、入りたくなかった高校でした。中高一貫校で、高校からは10人程度の入学でした。新しい子なので、あたらこと言われてました。この学校は英語にすごい力を入れている学校だったので、高校の英語の授業をちゃんとやっているだけで試験に通用しま…

高校受験

結局、高校は残念なことに、行くはずのなかった第一志望にはいれず、そして第二志望にも入れず、滑り止めの私立 調布高校に入学しました。入学式まで行くことを拒んでいたくらいです。なぜか?というと、第一志望であった日本女子大附属高校は試験はまあまあ…

そして高校受験

中学校二年生の時にこんな事があったので、さすがにギリギリの出席日数だったのと、出席しないので、体育、技術家庭科、音楽、美術は五段階評価で1でした。なんか厳しいなと。まあ仕方ないのですが。仕方ないけど、病気のせいなのにと思いました。出ていれば…

入院生活と病気のこと

入院しているときの思い出はやはり先生に勉強を教えてもらった事かな?その先生はいまとても偉い先生になってます。私が医者になった事、すごく喜んでくれました。再会した時はちょっと涙出そうでした。他には看護師さんの観察。看護師さんはこの人は真に優…

中学校二年生

そして、中学校二年生の夏休みに入る時、足に紫斑が全体的に出てしまい、そして腹痛で入院となりました。アレルギー性紫斑病です。原因不明。何もしてないのに、紫斑が下肢全体に。この紫斑は出血班であり、これがあると内臓にも出血すると言う事で、安静に…

回想

また中学校の話に戻りますが、家の近所に小さな塾があり、私はそこに行きたいと親に頼んでその塾に行き始めました。そこではちゃんと学校の勉強の補足などよくやってくれて。勉強の仕方も教えてくれました。そして、試験の順位を入口に発表されるので、やる…

普通の暮らしがしたかった

本当に夢は子供がいて普通に暮らす主婦を考えていた。別に仕事バリバリって感じでもなかったけど。でも高校一年の時から結構仕事人間の頭角を表していた。というのは高校一年生のとき、友達に誘われて、ファミリーレストランでアルバイトをしたのであるが、…

学部の選定

そして大学の学部というのはたくさんあるかな?と思うけど、よくわからなくて、なぜか医歯薬系が残った。獣医学部は獣医になるまでに何匹も動物を殺すんだろうなと思ったら可哀想でなれない。薬学部はどうしても当時近所にあった白衣着たヒグチ薬局の店員を…

最近

最近のネタがつまらないので、何書こうか?悩んだのですが、自分の生い立ちでも書いてみようかと。なんで医者になったのかとか。 なんで医者になりたいと思ったか? これは本当になりたいと思ったのではなく、消去法で決まってしまった。なりたいものがなく…