かずみ先生のつぶやき

最近のかずみ先生の動向、生活について

手紙の続き

その犬を飼うという事で、うちの家族はおかしいんだと気づかせてもらいました。毒親というキーワードが自然と降りてきて。毒親のことを調べたら、うちの場合20問中17問も当てはまりました。完璧毒親。そう思って、幼少期からさかのぼると、私は両親から褒められた記憶がありません。よくやったなんて国家試験受かっても言われなかった。そのくせ、デブだの、なんだのと馬鹿にされることしか言われなかった。だから私はバカにされるのが一番嫌いなんだということがわかりました。そこが勉強の方に向いてよかったです。そして、小、中学校時は母は専業主婦なのに、起こしてもらった事はありません。そして朝ご飯もありません。自分で起きて自分で行く。高校になるとしつけと称して弁当を自分で作れと言われました。今考えると、ネグレクトだなと。母の朝食の記憶して、ありません。妹はきっとやってもらっていたと思います。父からは小さい頃からお前は橋の下もしくは肥溜めの下で拾ってきたとか、親戚の前で言われ、酒の笑い話にされていたような。太っていたので、徒競走が苦手でビリから2番目になると、ブービー賞だと。そんな事ばかり言われてきました。こんなものはあげたらキリがないです。一番ショックだったのは40歳の時に二人目が生まれるので、6畳二間の2DKに住んでいたので、寝る場所もなく、引っ越ししたいと思い、マンションを探しましたが、うちの方は賃貸マンションがあまりなく、家を建てても支払いは同じくらいなので、家を建てると言ったら、なんて恥ずかしい事するんだと父に言われました。子供を支配したかったのでしょうか?私の幸せなんて一つも考えていません。子供を笑い物、自分の支配できる所有物としか思っていなかったんだと思います。そして、もっと強烈なのは、死の間際に何度もお前のせいで死にたいと言われました。それをそんな事言うもんじゃないなんて母が言ってくれた事は一回もありません。言われた方はどう思うでしょうか?子供は親の世話人ではないし、何言っても言い訳ではありません。子供にも人権があります。なので、父が死んだときは少しホッとしました。もうこれで怒鳴られなくて、そして暴言吐かれなくていいんだと。私はそれほど精神的に来ていたと思います。そして、この人は自分さえ楽になればそれでいいんだと言う事もわかりました。続く。